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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)533号 判決

控訴人 青田晴男

被控訴人 青田里子

主文

原判決主文第二、第三項を次のとおりに変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五一年一〇月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

控訴人は被控訴人に対し、財産分与として、金五〇〇万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は、一、二審を通じこれを五分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決主文第二項を取消す。被控訴人の請求(離婚請求を除く。)を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却・訴訟費用控訴人負担の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

被控訴代理人は、当審における被控訴本人尋問の結果を援用し、乙第一〇号各証、第一一号証、第一四、第一七、第三一ないし第三三号各証の成立を不知、その余の後記乙号各証の成立を認めると述べた。

控訴代理人は、乙第八、第九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一ないし三九、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一ないし四、第一五ないし第一七号証の各一、二、第一八号証、第一九ないし第二五号証の各一、二、第二六号証、第二七号証の一、二、第二八、第二九号証、第三〇号証の一、二、第三一、第三二号証の各一ないし六、第三三号証の一ないし四、第三四号証の一ないし八を提出し、当審における証人大沢久也の証言及び控訴本人尋問の結果を援用した。

理由

当審不服申立の範囲は、慰藉料及び財産分与(遅延損害金を含む。)の点に限られるので、本件離婚の原因及び当事者らの財産上の関係について以下判断する。

真正に作成された公文書と認められる甲第一号証によれば、控訴人と被控訴人が同主張の日に婚姻し、その間に同主張のとおり三人の子のあることが認められる。

真正に作成された公文書と認められる乙第八、第九号証、控訴本人尋問の結果(原・当審)及び弁論の全趣旨により成立を認める甲第三号証、乙第三ないし第六、第一〇、第一二、第一三号各証、原審証人小松和則、同小松正一、同青田文安、当審証人大沢久也の各証言、控訴・被控訴各本人尋問の結果(いずれも原・当審、各措信しない部分を除く。)によれば、次の事実を認めることができる。

一  控訴人・被控訴人夫婦は、結婚後控訴人肩書住所に居住し、ともに農業に従事した。

二  控訴人は、昭和三二年から昭和三八年まで、長野市内の食品店・○○商店に通勤し、給料月額約二万三〇〇〇円を得ていたが、その間これを被控訴人に渡し、夫婦間に生活費をめぐる争いは特になかつた。

三  控訴人は、昭和三八年から昭和四一年までの間、東京○○の実弟大沢久也の経営する鉄工業に従事するため単身上京し、熱心に働いて月収当初二万五〇〇〇円、ほどなく増額されて約五万円を得、自己の生活も切りつめて右収入の殆どを毎月決つて被控訴人に送金していたが、昭和四〇年頃からは送金の額も減じ、その時期も不定となつた。

四  被控訴人は、三児をかかえその養育費捻出のため昭和四〇年八月から○○生命保険相互会社の外務員として勤務した。控訴人は、右勤務を嫌い、退職を促したが、被控訴人は家計の必要から勤務を続けた。

五  控訴人は、昭和四一年帰郷後昭和四八年までの間長野市○○○○○○で鉄工業を自営したが、その間収入は一定せず、家計に入れる金額は僅少あるいは皆無の月もあり、昭和四八年以降同市○○○○○○の○○工機に勤務し、月額約一〇万円、その後昭和五〇年頃から同一六万円の収入を得たが、その間、家計にはほとんど入れず、被控訴人としばしば言い争つた。

六  右にも述べたように、控訴人は、帰郷(昭和四一年)以後その収入をほとんど家計に入れず、一家の生活費は、概ね被控訴人の保険外交員としての収入や被控訴人の親戚等からの借財によつてまかなわれ、控訴人は長女啓子が昭和四七年一〇月に結婚した際控訴人所有の田を売つてその費用の一半を負担し、また、長男文安の大学在学中(昭和五二年四月以降)その学資中数万円を負担した程度を除いては被控訴人や子らの生活費を負担していない。

七  控訴人は、昭和四一年帰郷後自宅をあける時間が多く(勤務上の理由か否か明らかでない。)、昭和四八年頃からは概ね毎朝八時頃には出勤しながら、帰宅は翌朝四時三〇分ないし五時頃という状態であつた。また、控訴人は、右帰郷後被控訴人の用意した食事を拒んだり、食膳をわざとひつくり返したりしたこともあつたが、昭和四六年頃からは肩書住所の居宅内で被控訴人や子らと部屋を分けて生活し、自ら食料品を買い求めて子らがこれに触れるのを拒み(昭和五〇年頃には自己専用の冷蔵庫も備えた。)、食事その他起居をともにすることもなくなつた。

八  被控訴人は昭和四四年妊娠中絶手術を受けた頃、控訴人から不貞を疑われ(被控訴人に不貞の所為があつたと認められない。)、それ以後夫婦の肉体関係も杜絶えた。

九  控訴人は、前記帰郷後も、子らの就学、就労につき全く関心を払わず、前記七の経緯もあつて、子らとの対立は進み、長男文安(当時高校生)が「被控訴人が控訴人と別居しないなら、子供らだけでも別居する。」と主張し、被控訴人もしばらく別居していれば控訴人が考え直してくれると思い、昭和五一年三月被控訴人は子らとともに控訴人肩書住所を去つた。

当事者双方各本人の前掲供述中、右認定に反する部分は措信しない。乙第一一号証、原審証人大石幸一、控訴本人(原・当審)の各供述中には、被控訴人が農業を嫌い、派手な生活を望んで保険外交員の途を選んだかにいう部分もあるが、前掲各証拠に照らし、措信せず、被控訴人母子が地域不相応の派手な生活・買物をしていたとは到底認めることができない。

前掲甲第一号証、真正に作成された公文書と認められる甲第二号各証、乙第七号各証、原審証人小松正一、同小松和則の証言、控訴(原審)・被控訴(原審及び当審)各本人尋問の結果によれば、被控訴人は、子らの養育(長男文安の学費を含む。)のための借入により現在約六〇〇万円の借財を負い、一方、控訴人は、昭和二一年相続にかかる原判決別紙物件目録記載の不動産等の資産のうち、現在なお同目録一1ないし7及び9ないし10の土地(その一部は他に賃貸し耕作させている。)並びに二の各建物を所有していることが認められる。

以上の事実に基いて考えるに、

控訴人は、熱心に就労しながらも一家を支えるに十分な収入が得られず、被控訴人が昭和四〇年八月以降就労してその家計を支えたもので、控訴人の帰郷(昭和四一年)後、控訴人と被控訴人母子との関係は疎遠となつてきたが、控訴人においてその解決に努めた形跡はこれを窺うことができず、却つて、家計を分担せず、敢えて起居を別にしただけでなく、故なく被控訴人の不貞を疑うなどしたものであつて、被控訴人母子から疎外されていつた点からすれば、控訴人の心情も理解できないわけではないが、被控訴人との婚姻関係については、結局控訴人が遺棄によりこれを破綻させたものとみるほかなく、一方被控訴人には、控訴人への対応の巧拙はともかく、とりたてていうほどの落度は窺えない。

してみると、本件婚姻の破綻につき主たる責任は控訴人にあり、これによる被控訴人の精神的苦痛を慰藉するには、三〇〇万円をもつて相当と認める。よつて、本件財産上の請求は、三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五一年一〇月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は失当として棄却すべきである。

財産分与の申立については、被控訴人が多年自らの力で子らを養育し、そのために多くの借財を負い、控訴人の前記資産の保持に寄与したこと、一方、控訴人はなお多くの資産を有すること(控訴人の近時の収入の使途は明らかでなく、前掲不動産のほか、かなりの財産が形成されたものと推定される。)等に鑑み、今後の双方の生活の必要をも考慮して、控訴人は被控訴人に対し相当の財産分与をなすべきところ、被控訴人の申立の趣旨及び双方の今後の生活の便宜に照らし、右分与は金員をもつてするのが相当であり、その金額は、五〇〇万円を相当とするから、控訴人は被控訴人に対し五〇〇万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金を支払うべきものとする(財産分与については、控訴審においても当事者の不服申立の範囲に拘らず、職権をもつて分与の有無、その額及び方法を定めるものである。)。

よつて、原判決中、不服申立のない主文第一項を除き、右趣旨にしたがい、これを変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 高山晨 大島崇志)

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